当時大きな松の木が小山を覆う笠の如くそびえていた。
源の義経が、屋島の合戦に向かう途中に馬を休めたとか。小松島に上陸此の付近をを通過したのは事実らしいが、村社にもその伝説があったので、記憶が混線しているかも。その時代海中の小島だった様だから。
此の近くの方ノ上小学校に転校した。
終戦の年、小学2年生の夏休み前に一家はお袋の里に疎開をした。その翌朝住まいのあった徳島市は大空襲でほぼ全焼した。真っ暗な早朝、中学生の叔父とその友人に連れられ裏山に登り、大火災を花火見物の様に眺めていた。
学年1学級の小さな学校で、竹槍を持った兵隊が駐留していた。
祖母に付き添われて行ったので家族より一足先に疎開したらしい。
担任の女先生、授業中姿勢が悪いと、いきなり背中に物差しを差し込む、脇見をしていると教壇から白墨を速球で投げつける。そして白墨を回収にくる。しばしば隣の子に当たり謝り乍。
0 件のコメント:
コメントを投稿