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2009年6月30日火曜日

竹と暮らしの道具展














緑化センター・緑友168会の
竹と暮らしの道具展開催中

小雨模様の鶴舞公園の今日は人影もまばら
陸上競技場に咲く花 緑化センター・緑友168会








愛・地球博名残の緑化壁「バイオラング」の一部がここに存在しています。













酔芙蓉は8月、先立って「こだち芙蓉」が可憐に花盛り。


随分と寂しくなったが蓮の花もチラホラと開きはじめた。


















2009年6月29日月曜日

モリコロ寸劇練習会

6月28日(日)本陣の愛・地球博ボランティアセンターにて行なわれた、朗読会との合同演習の模様。













































 7月中旬から保育園を中心に「もりのこえ」の環境劇をモリゾー・キッコロが上演します。
 昨年から会員の皆さんによる勉強会が重ねられております。
 次回は7月8日(水)13:30〜 本陣ボランティアセンター会議室
興味ある方のご参加歓迎します。

阿呆と馬鹿

   郷に入れば
 アホウとバカ、意味合いに殆ど差異は無いと思われるが。ごく軽く殆ど意味もないとき、青筋たてて激しく相手を非難している時とか、発音の強弱、前後の繋がりとかで変化の大きい言葉だと思う。それにも増して地域での違い。西で「馬鹿」、東で「阿呆」は使わないのが無難。間違えると言った人のつもりの5倍10倍のインパクトを与えるものらしい。言われた人が激怒している様を目撃した事がある。

2009年6月27日土曜日

15thサタデープログラム

東海高校・中学 土曜市民公開講座、サタデープログラムに参加
ご父兄の皆さんも、環境講習を熱心に聴講
されていた。                            














 
エコバナナペーパー紙すきに取り組む、次代を担う精鋭達。

言葉の威力

外国で聞いた日本語
 台北でお土産を求めて百貨店に立ち寄った。通訳を兼ね買い物をサポートするガイドが数名いて、付き添ってくれた中年の女性は、芦屋で10年居たとの方だけに、滅多に聴けない程上品な関西弁であった。
 買い物も済ませた帰り際、後ろから「お前、飯食ったか?」と、別人かと思ったがその人しかその場には居ない。ビックリして思わず顔を見直した。
ふざけているのでもなく、至極真面目な顔をしていた。以来生半可な言葉は怖くて使えない。英語なども(これは出来ない事をごまかす方便)

2009年6月26日金曜日

美味い問題

  冷たい難題 
先日、キリンビールの「父の日・エコ紙すき教室」に参加したご仁と架電中に
 「ラベルに印刷されている「キリン」の図柄の中にカタカナでキリンと書かれています、さてどこにありますか?」と唐突に出題あり。工場見学の折仕入れたクイズ問題らしい。今週末の「東海高校サタデー・プロジェクト」と日曜日の「プロジェクト会議」の席で出席者に出題する魂胆の様だ。密かに問題を漏洩する、何時も食卓に何本も並べている、Iさん,Kさん,Fさん左党の面目にかけて、模範解答を願います。悪戯には悪戯でお答えを、急ぎ冷蔵庫の現物で調べたが、意外に難題、中身は冷たいうちに空けておくのが宜しい様で。

2009年6月24日水曜日

バナナペーパー紙すき研修会

森林を守るバナナくらぶ研修会
 本年度第2回バナナペーパー紙すき研修会を行う。
 バナナペーパー紙すき体験会も愛・地球博以来3年半を経過した。重ねて来た経験と、反省を糧に内容の一部改訂、担当者による特異性を排除し均一な指導を心がける指導要綱の再確認。8月1日の第3回で完了する。



ボランティアセンター本陣106にて

2009年6月23日火曜日

方言


 過ぎてみれば今では笑い話だね!なんて歌があったが,その程度のほろ苦い想い出も沢山ある。その当時には結構悩みになっていたのだが。
 初めての名古屋勤務で、最初の電話を受けたのは取引先の年配の社長から頂いたものだった。
 始めの数十秒、耳にする言葉が全く解らない。必死で聞いている内、ふと文頭が解ると、後は芋ずる式に何とか。
 後日お目にかかった時に、その事を白状した「東北弁で話されているのかと思いました」と。そのお方は尾張の人そんなきっかけで始まったお付き合いは、実に親身に面倒を見て頂き、その後永年にに渡り名古屋勤務の指南役をして戴いた。
 方言の違いは当然として、イントネーションと言うのか言葉の悩みは多かった。
四国、中国、九州方面に多いらしいが、徳島ではサ行がそれ、先生が「シェンセイ」になる。三千円はいい、千円、二千円はいけない、使う頻度が多いだけに困った。それをからかう無神経な人がいて、益々悩んだものでした。東京人、江戸っ子であったかどうかは知らないが、「ヒ」アサシ新聞。
 東京から北は初めての水戸に転勤した当初、イントネーションに馴染む迄大変だった。西の方では言葉は尻下がり、ここでは尻上がり。普通の会話をしていても胸ぐらを、ネクタイを掴んで詰問されている感じ。4年もいたから気にもなら無くなったが。
 方言の方が語彙が豊富な気がしている。阿波の方言を標準語?に置き換えると、どうしてもニュアンスが伝えられないときがある。かの有名な薩摩弁には置き換えは出来たのだが。歳と共に図々しくなるのか、通じるかぎりは方言で喋るのは平気になったが。

2009年6月21日日曜日

父の日をキリンビールで

「今回は、キリンさんのご好意で特別参加出来ました」
20日麒麟麦酒の「父の日・エコ紙すき教室」に林・山本・村上 3名が、麒麟麦酒さんのご好意で特別参加出来ました。参考になったことが多く特に「説明の仕方」には感心しました! さすがにプロとしての解りやすい説明・・・
また、ミキサーを使用せずの撹拌方法・・・等々キリンさんありがとうございました!!!)
 以上はこの教室に特別参加を許された、”森林を守るバナナくらぶ”世話人代表から連絡メールです。また、立ち上げたばかりの4チームのプロジェクトの一つ「バナナ紙すきを語る」チームメンバーの3名である。確かな収穫を得たらしい報告が楽しみです。
 ビールの製造過程から生じる物質とバナナ生産から生じる廃棄物の茎を活用して紙を作る、規模の大小は別にしていずれも同様の発想によるエコ活動を推進する巨人に巡り会った歓びを言外に感じます。

2009年6月20日土曜日

ピンクバナナ

 A4紙と背比べ
 新入り「ピンクバナナ」の苗が到着。草丈1m、寒さに比較的強い、5〜6 cmの実が10〜15本、ごま粒より大きめの種がビッシリとあり、アケビの様な感じで食べるとバナナの味。観賞用と説明書がある。
 
 ある魂胆をもって、
バナナの育成と和紙紙すきに、乱読レベルで資料を読み漁っている。

2009年6月19日金曜日

紙すき体験




























美濃和紙の里会館にて                            
紙漉職人に挑戦、一日コース。








美濃和紙作りを体験学習。原料のコウゾの収穫、加工から始まる、美濃和紙が出来る迄の全工程とその設備見学、そして、体験。
 ある夢に向かって価値ある収穫を得た。




2009年6月17日水曜日

”よかおごじょ”に道を尋ねた

 博多の町、事務所兼社宅からバス停一つ先の呉服町、大丸百貨店の前で東京オリンピックの聖火リレーを迎えた。九州と山口県を担当区域としていた、福岡営業所勤務時代。
 鹿児島へ初めて出張したのは、稲刈りの隣で田植えをしている7月頃、夏休みが始まる少し前であった。

 代理店の専務が運転する助手席に座る私に「道を聞いてこい」と、郊外の学校訪問をしている時であった。
 四つ辻にある煙草屋の元看板娘に尋ねた。実に丁重な方で、ヨッコラショと下駄を履き、わざわざ店先迄出て、身振り手振りで詳しく教えてくた。
 車をスタートさせ乍ら、「どうでした」と。ここで専務の悪戯だと気がついた。「英語、フランス語も知らないが、そちらの方が少しは分るかもしれない」と答えた。
 当時はTVもようやく普及したばかりで、年配の方は純粋の地元言葉、ましてや薩摩弁、他国の人には絶対に分らない。

2009年6月15日月曜日

混浴其の2

 またまたその別天地に巡り合せたのは、福島県浜通りの温泉、農閉期に近郊の農家の骨休め場として栄えていたらしい鉱泉であった。ランプの明かり程度に湯気がもうもうと、人の気配はあるのだが。湯船につかり目が慣れてくると、往年の妙齢ご婦人が3人。すっかり身元調査の尋問も受けて、それではと半ば強制的に三助をご要請で、もったいなくも3人もの女性の背中を撫でました。2・30年もお若かければ等とは仮に、もし、思ったとしても言わないの、至福の刻を過ごしたのでした。

2009年6月14日日曜日

混浴

 其の夜は日光の温泉旅館に宿泊することになった。
 先輩の郷里のこととて、高校時代のクラスメイトが女将を務める新規開業旅館と聞いた。
 オフシーズンで静かな夜だった。大浴場も貸し切り?ゆっくりと浸かり、お先にと湯船から出た時、反対側の出入り口から5,6人のご婦人がドヤドヤと入場。横目にみて、いや、眺め乍ら急ぎ退散。が一人取残した先輩、心配になる程部屋に帰らない。やがて茹で過ぎた蛸といった風情で息も絶え絶えになって。出るに出られず多勢に無勢、捕虜になっていたらしい。
 其の真相、ご婦人方は勤務あけ寮に帰る仲居さん達で、オフ期にはお湯の節約で湯槽を一つにするのだとか。脱衣場は別だがドアを開ければ、別天地になっていたのである。


2009年6月13日土曜日

江川卓投手

 久しく見掛けなかった、江川卓投手の名前が久々にロッテの次期監督候補として登場してきた。
 PTAの役員をしているという、代理店の社長に伴われ、栃木県出身の先輩共々作新学院に伺った。深々とした絨毯を踏みしめて理事長室に通された。当時衆議院議長の船田中代議士の妹御が理事長をされていた、総白髪で大変品のあるお方だった。
 この野球名門校が暫く出場していない。緊張気味に其の事に触れると,途端に理事長「近い内に出場します、ご案内しましょう」と野球部部長先生を呼び入れた。既に中学校で名を馳せていた、江川卓投手が入学した年でした。ブルペンで投げる豪速球を間近で眺め、メジャーになる前からフアンになっていたのが、自慢?でした。案の定、高校、六大学、阪神、巨人と常に話題を提供してきた。

環境ディなごや2009

緑生涯学習センター
環境ディなごや2009に参加









バナナペパー紙すき体験会を開いた。

2009年6月11日木曜日

バナナ











植木鉢のバナナ 昨年暮れと6月8日現在












































熱田喜見寺の境内(上)と千種区猫洞通りの露地に育つ糸芭蕉(と思う?)
 

2009年6月9日火曜日

にわか雨

 東海地方も本日入梅とか、雨の季節がやって来た。雨には切ない思いをさせられた事がある、40年程昔の出来事なのだが、時には思い出す。
 福島県を大別すると、太平洋に沿って陸前浜街道(国道6号線)、中央部を奥州街道(4号線)それに会津地区。夫々を浜通り、中通り、会津と呼ぶ。
 浜通りの相馬市から、中通りの福島市への峠越えの路がある。町並みを出ると前方の峠迄見通せる、なだらかな上りの直線道路が続いていた。左右は田畑を挟んで遠くに人家がチラホラ見える。
 馬の背を分けるという、夕立が前方の山から下りてくるのが見えた。ポツリと雨粒が。
 1、2年生と思われる下校途中の3人が前方に向かって歩いていた。傘も持たずに、2、3百先にバス停と思わせる小屋が目につくだけで、人影もない。思わず車を横に止め「乗りなさい」と声をかけた。途端、3人が顔を見合わせ乍ら、身体が硬直した。思いがけない反応に、ビックリし、困惑した。「ゴメンネ」とだけ言うのが精一杯。逃げる様に車を走らせた。
 数十秒で滝の様な雨が降り出した。バックミラーに、ランドセルを頭に載せた3人が走っているのが映っていた。

2009年6月7日日曜日

森林を守るバナナくらぶ

鶴舞公園鶴々亭に於いて
平成21年第6回世話人会を開催













4チームのプロジェクトを発足させた。それぞれの成果を期待。
百華庵では恒例のお茶会

2009年6月4日木曜日

名札

横浜市立小学校、昼休みは家族で、或は友人家族で持参の弁当を囲む。昔懐かしい楽しい運動会であった。
只一つだけ、時代の違いがあった。
校内入門者は全員、児童の名前を書いた名札を付ける。
更に、カメラ、ビディオ持参者は、学校に登録し、マーク入り名札の交付を受ける事。3名のガードマンが常時パトロール、父兄3名程のパトロールチームが数隊こちらも隈無く校内を巡回する。お陰で、トラブルも無く、安心して
競技に集中する事が出来るという、算段でした。勿論、校内全て、禁酒、禁煙。