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2009年3月31日火曜日

ご接待


 四国八十八ヶ所巡り結願所 大窪寺         

四国巡礼の結願所、第88番大窪寺は第1番霊山寺のお隣にある。1番から逆回りで88番、これで便宜上巡礼した事になる。責任は持てませんが、2回も八十八寺遍路巡拝をした人から聞いた話、出鱈目でもないでしょう。それでは私も四国巡礼をいたしました。

ご接待を戴く
 徳島駅前にあった、S 宅に帰着したのは夜中、汗と埃にまみれた4人を洗うには家庭の風呂では間に合わぬと、のれんを仕舞いかけた銭湯に頼み込んで三助さんと一緒に。だから、ちゃんと風呂掃除を手伝った、いえ手伝わされた。入浴代金は冷たい牛乳のご馳走をおまけに付けてお手伝いで相殺にしてくれた。
 そして夜中に夜食、勿論朝食も、それに各人の自宅迄のバス代も全てSの姉御のご接待。短い出鱈目の旅は終了した。

2009年3月30日月曜日

祖谷蕎麦

 祖谷のカツラ橋
 土讃線を阿波池田駅で徳島線に乗り換える。酷使した身体は待ち時間にもエネルギーの補給を要求している。全員のポケットを裏返して資金を捻出、ホームの祖谷蕎麦を注文した。それでもアイスクリームのデザート付きで。此の時の蕎麦の満足感は、以降ずっと現在に至る迄蕎麦好きとして尾を引いている。

2009年3月29日日曜日

モリコロパーク

      西日に浮かぶ大観覧車

児童年記念館ではバナナペーパー紙すき他、工作教室など盛り沢山多数の来場者でにぎわいました。      スプリングフェスタ2009
モリゾー・キッコロも応援に駆けつけ
桜の蕾みもふくらみ始め、家族連れで賑わう公園
  花桃まつり
瀬戸会場では植樹祭

2009年3月28日土曜日

土佐日記の出発地

  桂浜
                                 「もう止めた」とSが脱落宣言。嵐の中、安芸の後免駅にたどり着く(当時は国鉄始発終着駅)。  
土佐日記はここが出発の地。遥か時代を経て我らには挫折のゴールの地。意見が一致したのかどうかは不明だが、全員の自転車を日通に託した。
 電車で高知市に移動、桂浜の坂本龍馬像の近くで飯を食った時は3人だった。一人行方不知。
 何時もの事だが、満腹すれば、照れも無く全ては解決している。兎に角何事にも解り易いのが取り柄の仲間。夜行列車には4人揃って乗っていた。

桜咲く

  今日の鶴舞公園














さいた さいた さくらが さいた。
(国民学校1年国語教科書にあった?)
花冷えにしても、寒い。
火気厳禁の公園では震え乍ら、日向を求めて。 











    開園100周年。鶴舞公園ビヤホール開業。












2009年3月27日金曜日

室戸の台風

 その後は、戦後最長とかの干ばつが2ヶ月前後続くのだが、小型台風がそこ迄来ていたのであった。室戸台風なんて駄洒落にもならない、段々と風雨が強まった。(後年第2室戸台風は、鳥取駅で缶詰めになって一夜を過ごした。)
 ここ迄の行程から見ても。計画性が欠如している事は明らか、天気予報で台風襲来位は予測していたろうに。
 台風一過を宿屋で待つなんて事は、予定も、準備も、つもりも無い只ひたすら走るのみ。

2009年3月26日木曜日

露天風呂

西表港のシーサー
お寺の縁の下を探して、夜中に移動開始の自転車旅行。
真夜中ににもかかわらず、コウコウと明かりの灯る学校があった。5〜6人の先生方、学期終業打ち揚げの席の様子、「城南高校の生徒か!よし」と柔道室を解放して頂いた。
 室戸岬の露天風呂
朝から雨、曇り、晴れ。夕べの宿、畳の縁に寝た者は背中にダニかシラミか、かまれた痕が一筋に。蒸す雨具の中で痒くてたまらない。
 室戸岬は晴れていた、岬先端岩場のタイドプール、露天風呂に見立てて石鹸を持って入浴。お風呂に入るのだから当然素っ裸。視界一杯太平洋、壮大なる大露天風呂である。

2009年3月24日火曜日

鶴舞公園は100周年

 鶴舞公園は今年100周年
4月1日から記念事業が盛り沢山に予定されている。
 今日の公園では




















大学の卒業式が。





















一足早い花が咲く桜の樹の下で、
今を華盛りのお嬢さん方が一足早い花の宴。





















薔薇も元気に芽を伸ばし。

4月から始まる花まつりの準備も着々と進んでいる。














そして、今、緑化センターでは
名古屋植物画同好会会長鳥居ちゑ子先生
愛知県の絶滅危惧種植物画展が開催されている。

2009年3月22日日曜日

第8回なごや西の森植樹祭

        なごや西の森第8回植樹祭 
 戸田川緑地で雨具に身を固めた大勢の人達により、
3千本の苗が植えられた。参加者には生憎の雨模様も、苗木にとっては格好の雨、順調に育つ事でしょう。
 森林を守るバナナくらぶも15名が参加、体験コーナーでバナナペーパー紙すき体験会を開きました。
 モリゾー・キッコロも応援に駆けつけ、テントの中で来場者と一緒に写真に収まっていた。

2009年3月21日土曜日

大芝生広場は満員

満員のモリコロパーク大芝生広場














博覧会開幕記念イベント 春まつり2009 夏川りみ GREEN  LIVE 「リニモで宝さがし」の二兎を追ってモリコロパークへ。出展の各ブースにも人の波、芝生広場はご覧の人で埋まって居た。やはりこの公園は人の波で埋まるのが似つかわしい。帰りのリニモも待ち時間こそ無かったが、ホームは満員になった。

2009年3月20日金曜日

リニモ早春ウオーキング

リニモ早春ウオーキングは本日完了。今日開園した瀬戸万博記念公園内チェックポイントでの様子。
  














受付開始時刻頃迄の雨模様も、いつの間にか雲一つない好天となった。気温も上がり、汗ばむ陽気の中。
 早春ウォーキング 第5回「万博メモリアルウォーク」は二千人を遥かに超える参加者の下、益々人気絶頂、本日で完了した。
 次回は秋季開催迄、暫しのお別れですが、朗報が一つ。5月末に番外編を計画中との情報あり、乞うご期待。
 

2009年3月18日水曜日

水牛車

自転車旅行を少々休憩し、小雨の降る薄ら寒い亜熱帯で水牛車に乗ってきました。
 指示されなくても自発的に、適当にサボタージュもし、御者に水の補給を要求したり、巧みに、マイペースで仕事を進める水牛に感心し拍手を贈りました。

2009年3月11日水曜日

宿借り

 満腹すればたった腹もすぐ横になる。小さな三角テントで熟睡をした。
 真夜中狭いテントからはみ出されていた誰かが、起きろと全員を叩き起こした。雨が降りそうだ、避難だと。真っ黒の不気味な雲が手の届くところ迄迫っていた。雨が降ればテントに入れば良さそうなものだが、4人は窮屈。それに流れ込む水の枯れた谷川の河口にいる。鉄砲水でもくれば大変だ、雷様も恐いし。その辺りは野性に長けた面々、決断は速い。即テントをたたみお寺の縁の下でも探すつもりであったか移動開始。

炭焼き

 高知県に入ると、間もなく甲浦。サーフィンで有名な生見海岸がある、当時はそのサーフィンの存在すら知らない。その少し手前に岬に囲まれた、白浜海水浴場がある。超遠浅で波打ち際迄途方もなく距離のある、白いきれいな砂浜が続いている。
 その端っこが初の露営の地、初の炊飯。米、缶詰等は四国一周に変更しても困らない程、たっぷりと準備していた。
 海水浴の傍ら飯を炊いているつもりが、コチコチの炭が出来上がっていた。腹が空くと兎角たち易い、めいめいかってに食料調達に出掛け、空腹を満たした。
3ッの飯盒は炭壷となり、最早炊飯の手段は消滅した。

2009年3月8日日曜日

名古屋国際女子マラソン






















”Qちゃんのラストラン”

沿道を埋める沢山の人達が贈る、拍手と声援を受け、笑顔で手を振りながら駆け抜けて行きました。

森林を守るバナナくらぶ 42名 恒例の運営補助員としてボランティア参加をしました。

21年3月度・森林を守るバナナくらぶ世話人会は3月7日愛・地球博ボランティアセンター101号室にて開催しました。

2009年3月5日木曜日

リニモで宝さがし

 やや薄ら寒いウィークディー。さすがに人出は少なかった。
”リニモで宝さがし”に参加を兼ねて、思い出いちばん展観覧を強要して、家内と共にモリコロパークへ。
 何時もはスタッフ側にいるラリーを、参加する側から見るとどのようなものかな、等と余計な思惑も持って。
 記念館内は撮影禁止。自分の作品をバックに写真が欲しかったので受付嬢に相談した、快く席を立ち、シャッターを押してくれた。このケースは許可されるとの事。ただ残念乍ら手振れ写真になっていた。藤が丘駅スタート、記念公園ゴール、手振れシャッターの記念館、夫々の受付嬢。人出の少ない事もあるがいずれもお一人で捌いていた、接客とは斯くあるべし、と思わせる見事さで。こんな体験は一日が楽しくなります。これからも宜しく。



2009年3月3日火曜日

一山二山三山越え

(写真はクリックすると拡大します)
 55号線は土佐東街道と称される。
阿波福井に到達、ここでは夜も明けていた。険しい昇りの道が始まる。トラックの轍が2本、外れると敷き詰められた砂利が盛り上がっていて、歩く事も難しい
蟻と競争し乍ら自転車を漕ぐしか方法が無い。1〜2時間の昇り、この辺りでは最早鼻歌交じり等は先刻迄の夢の中の話。
 登れば当然下りがある。これからは楽が出来ると思いきや、道幅一杯の砂利の山、細い轍だけが通行可能。高度の運転技術を要する、何度転倒した事やら、ブレーキの熱で車輪が溶けてしまわないかと心配し乍ら。
 時たま走る自動車は道端にぶっ倒れてやり過ごす。 23番札所薬王寺、海亀の町日和佐にたどり着く。
 小学校か中学校の遠足と、親父の厄除のお参りに家族で来た事がある。これから先は未知の世界。
ホッとする間も無く、更にここ迄を上回る難所が控えていた。
 日和佐から牟岐町迄の峠はもう一段距離と高低差があった。全食自炊の予定は早くも頓挫、暁の握り飯以降何にも食っていない。
 牟岐町の町外れの駄菓子店、ガラスケースの中、おはぎ、餅、赤飯、稲荷寿司、その他諸々全てを食べ尽くし、店先で数時間の昼寝。しかし営業妨害にはならない、商品売り切れ、開店休業、其の証拠に枕まで出して呉れたのだから。
 ところで、山地を抜けたと喜んだのも束の間、八坂八浜と言う文字通りのUP DOWN。疲れると何かと怒りっぽい、ただ黙々とペタルを踏む。

 ここで、気がついた事がある。記憶の欠片を追っかけてると、其の近辺が”鮮明に思い出される?”が更に追うとプツンと途絶え、場末の映画館であった様に、フイルムが切れ灰色のスクリーンに黒点の雨がザーザーと(これも又昔の話)。となると想い出は多少整形されている可能性もある、そして多分に乱丁の気配。何しろ、あの風景すら残されているかどうかの半世紀以上の昔話。本人以外に気にもしていないだろうし、然程迷惑をかける事でもないので、ままよと話は前に走るだけ。





2009年3月2日月曜日

自転車旅行2

 真夜中に徳島駅前を出発した自転車4台。
55線を1時間少々南下、小松島市を通過すると、海上自衛隊のある和田岬に向かうY字路がある。道幅の広い方が幹線道路と躊躇なく。30分も走ったか、自衛隊の門で行き止まり。仲良く失敗を認め、仕方ないやと得意の早飯(弁当は早い時間に済ませ、昼には購買のパンで補食するのが流行していた。)犬1匹居ない道路の真ん中にロウソクを立て、準備していた朝昼用の握り飯を平らげ一休み。満腹になればこの程度の無駄等は気にしない、それから1〜2時間平坦な道を順調に、元気一杯、心地よさに一気に足摺岬経由四国一周に目標変更を衆議一決。

(写真はクリックすると拡大されます)

2009年3月1日日曜日

薔薇


















 
                        
 鶴舞公園バラ園には120種、1700株の薔薇があります。その内の24番オレンジバニィーを担当、2月中旬剪定を済ませました。
 バラ色の・・といっても、世界中で5万種以上、日本国内だけでも数千種類が在るそうで。とても薔薇は云々なんて言う程の知識はありませんが、好きな赤い色とりわけ、このオレンジバニィーとかスーパースターの濁りの無いそして透明感のある深い赤に惹かれている。


本日完売

春の陽気に誘われて、モリコロパークも沢山の人出。モリゾー・キッコロとの記念撮影にも長い行列が出来ていました。
 思い出いちばん展もおお賑わい。私の応募写真も二桁の番号から1桁の5と10番に昇進?密かに投票してきました。
 本日は第2回リニモウオーキング。汗ばむ陽気の中、2,600人の参加を得て、大盛況。岩崎城のチェックポイントで手が痛くなるほど捺印に追われました。来週の第3回から、引き続き4、5回と控えておりますが。今回以降、3千名で受付締め切りとなりました。ご参加の節にはお早めにどうぞ。