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2009年3月3日火曜日

一山二山三山越え

(写真はクリックすると拡大します)
 55号線は土佐東街道と称される。
阿波福井に到達、ここでは夜も明けていた。険しい昇りの道が始まる。トラックの轍が2本、外れると敷き詰められた砂利が盛り上がっていて、歩く事も難しい
蟻と競争し乍ら自転車を漕ぐしか方法が無い。1〜2時間の昇り、この辺りでは最早鼻歌交じり等は先刻迄の夢の中の話。
 登れば当然下りがある。これからは楽が出来ると思いきや、道幅一杯の砂利の山、細い轍だけが通行可能。高度の運転技術を要する、何度転倒した事やら、ブレーキの熱で車輪が溶けてしまわないかと心配し乍ら。
 時たま走る自動車は道端にぶっ倒れてやり過ごす。 23番札所薬王寺、海亀の町日和佐にたどり着く。
 小学校か中学校の遠足と、親父の厄除のお参りに家族で来た事がある。これから先は未知の世界。
ホッとする間も無く、更にここ迄を上回る難所が控えていた。
 日和佐から牟岐町迄の峠はもう一段距離と高低差があった。全食自炊の予定は早くも頓挫、暁の握り飯以降何にも食っていない。
 牟岐町の町外れの駄菓子店、ガラスケースの中、おはぎ、餅、赤飯、稲荷寿司、その他諸々全てを食べ尽くし、店先で数時間の昼寝。しかし営業妨害にはならない、商品売り切れ、開店休業、其の証拠に枕まで出して呉れたのだから。
 ところで、山地を抜けたと喜んだのも束の間、八坂八浜と言う文字通りのUP DOWN。疲れると何かと怒りっぽい、ただ黙々とペタルを踏む。

 ここで、気がついた事がある。記憶の欠片を追っかけてると、其の近辺が”鮮明に思い出される?”が更に追うとプツンと途絶え、場末の映画館であった様に、フイルムが切れ灰色のスクリーンに黒点の雨がザーザーと(これも又昔の話)。となると想い出は多少整形されている可能性もある、そして多分に乱丁の気配。何しろ、あの風景すら残されているかどうかの半世紀以上の昔話。本人以外に気にもしていないだろうし、然程迷惑をかける事でもないので、ままよと話は前に走るだけ。





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